テストが終わって、エントリーシートからも少しだけ逃れられて、面接もないちょっと幸せな暇な日。
舞台を観に行きたかったんだけれども、宝塚は「明智小五郎の事件簿」しかしてなくて、梅田芸術劇場は何もしてない。。。特に観る物もないから図書館通い。
「明智小五郎」をもう1度観ても良かったんだけれども、もう1つ食指が動かされない。
自分的な感情の波も訪れないし、私どちらかというとジャズは苦手なんですよね。
だからショーにもあんまり申し訳ないけれども心動かされなかった。

まず何よりこの人が大好きっていう人が花組にはいないのもあるんでしょうが、一度でいいかという感じ。

だから、図書館通い。
特に宮部みゆきさんも小川勝己さんも、村山由佳さんも読んだ事がないのがなかったのでやめた。
どうしようと思いながら観てたらふと「暗黒童話」という乙一さんの本が目に入った。
あー、「ZOO」書いてた方のだ。
そう思ってそれを借りてみたら。。。いたいいたい!

私は精神的な痛みには時々感情移入して「素敵!」と思ってみたり、「何て悲しいんだ」と思ってみたりするけど、本当に肉体的に痛いのはどうも苦手だ。
感情的に痛いのも時には嫌なんだけれども。
此処にあって絶対此処にはない痛みが理想。
目の前に起こりうる人の弱さをつきつけられた救い様のあるどうにももどかしい間違った痛みは苦手かもしれない。
あと、栄光と挫折も若干苦手かも(物によるけれども)
それは置いておいて、その本は肉体的に痛かったです。
想像力が私には中途半端についているので痛みには弱いです。
心からわかっているかはわかりませんが、時々「痛い」とは思ってしまいます。

このお話は始めは精神的に痛くて悲しく、中盤は肉体的に痛みを伴う気がします。

しかし、このお話において殆どの場合痛覚は存在しません。
切られても、死を伴う様な怪我をおっても人間は痛くないんですよ。
手足を切断されても、体に顔が二つつく様な惨事にあっても彼達は不思議に思わず痛くもありません。
でも、描写はあるのよ。
オペする描写。
でも、彼達はちっとも痛がらない。
むしろ、それを幸福にさえ思っている部分あある。

私はその描写を見ていたいなと思ったんですが、別に本の中の人達は何も痛がってません。

死にません。
切断されても痛くなくて、血もあまりでず、腐ってもこず、温度感覚もなくなるそうです。
絶対ありえないですが、この本の中では現実にそれが行われ行われた人間は行った人間を何一つ恨まず生活してます。
ありえないでしょう。
でも、実際そんな事が行われたらどう思うんでしょう。

行える人物はその世界でたった一人です。
神様の様な手を持つ人間。
彼が生物に与えた外傷は痛みとしては現れず、怪我をおわせても脳、心臓にダメージを与えなかったら死にません。
そして、外傷をおわせる人間もあまり罪悪感は感じておりません。
攻められなければ人間は意外にもそんなものかもしれないですが。
怖くないんですかね?

そんな人が本当にいたら、神様ですね。
人間のあるべき姿をありえない姿に気味悪く変える事が出来、痛みも与えない。
まず、死にたい人間は彼のもとにいきそうです。
痛くない死なんて最高じゃないでしょうか?
痛覚があるからある程度、人は死なないんじゃないでしょうかね?
全く痛くなかったら、世の中の人間は皆いなくなってしまってそうです。
まあ、これは私の偏見ですがね。
死に損なった人間って痛覚とか恐怖感があったから死ねなかっただけで、両方なかったらたぶん簡単に人なんて死ぬのではないのでしょうかね?

死ぬ事が安心出来幸せを生むという確証があったら人間は死ぬと思います。
だって、生きてる事って結構しんどいもの。
辛い時なんて人間誰でもあると思うから、そこに何の感情もわかなくなった時に自殺が生まれるんじゃないかなと私は思ってます。
これは、私が人生後ろ向き人間だからそう思うのかもしれません。

そう言ったら、だからこそ人間が苦難を乗り越えるために幸せを得るために生きるんだと言われそうですが、別に私は死のうとは考えてませんよ。

でも、そんな私みたいな後ろ向き人間から考えるとそんな人がいないから生きていられるんだろうなとも思います。

もし、人生今で終わるけど何一つ痛くなく簡単に楽に寝ている間に幸せに死ねるよと言われたら、さあ貴方はどうしますかね?

しかし、この小説にでてくるお方は結構変態なので普通に殺してはくれず、人と体を合成されてキメラになったり、両手両足がなくなってたり、体中を針金でさされてたりしそうです。
そして、それには何一つ痛みは伴わない。
考えただけで恐ろしいです。

そして、それは被害者にとって何一つ不便ではあるが不幸ではない。
怖い〜。
本当に神のみぞ知る領域ですね。

痛覚は欲しくないけれども、いるんだろうなと思う瞬間です。

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