お馬鹿な女の子と仮面を被った女王陛下(エリザベート)
2007年6月13日 ぶたい。何かね、放置しすぎててごめんなさい
blogって忙しいと放置するしかないし、暇だと暇で書く事がないから放置してしまうよねと微妙な言い訳をしながら6月入ってから、やっとこさ2回目の日記!
雪組バージョン「エリザベート」3度目の観劇してきました。
何か何て言ったらわからない「エリザベート」ですよね、雪組の「エリザベート」って。
面白いんだけど、エリザベートに関しては有りなんだけど、皆見てる部分が違うよね
2回目観劇した時から薄々思ってたんですが、3度目観劇したらメインの方々が見てる方向違うってのが面白かったです
前回観劇した時はゾフィー@未来優希が美人なお姑さんに見えてたんだけれども、今回観劇したらゾフィーが怖いお姑さんに変化してた
何かしずしずと演じるとお姑さんの方が正しい様に感じるけど、感情が爆発するとゾフィーって怖いお母さんに変化するよね
まあ、ゾフィーが正しいと思う「エリザベート」もどうかと思うから、この変化は間違ってないんでしょうが
凄い怖い感情的なお母さんになってらっしゃいました
でも、あんまり生々しくなくてただの強大な敵であるお母さんっていう変化が私は良かったかなって思いましたよ
でもね、となみちゃんのエリザベートも凄い変貌を遂げてました
遂げてたのかわからないけれども、私にはこう見えました
私達って「エリザベート」の時代から言ったら若い人間に値するので、エリザベートの価値観にリンクできる部分がある様に思えるんですよ
ゾフィーがルドルフを鞭でうつのを古い感覚だと思うのって、今の時代の人間だからだと思うんですよ
何処の時代にも嫁姑対決があって、それって別にどっちが正しい間違ってるとかない様に思えるんですよ
でも、それでもこの「エリザベート」に関して言うのであればエリザベートの方に価値観が近いからエリザベート寄りになるんじゃないかなって思うんだけど
でも、嫁姑対決って大概若い方の子の感覚に近づけてあげようっていうのが今多いんじゃないですかね?
勿論、譲れない部分ってのはあるでしょうが
お嫁さん頑張ってるから応援してあげよう、少しぐらい間違ってても良いじゃないのってドラマとかで思ったあげれるじゃないですか
それでも、限界点ってあるよね
それはさ、お嫁さんがきちんと機能している時にだけありえる正解なんじゃないかなって思うんですよ
お嫁さん、一生懸命小さな身体で古い習慣と戦って頑張ってる
古い部分だけじゃなく、新しい部分もとりいれていこう。少しづつ両方歩み寄ればいいじゃないのってね思えるのはお嫁さんが頑張ってて、お嫁さんの価値観も理解できる場合のみよね
お嫁さんが洗剤でお米といでたら、いくら何でもお嫁さんがどれだけ頑張ってて「自分一人でご飯作るんです!」って言われたら、止めるよね
味方できないよね
それはお姑さんに教えて貰いなさいって言われちゃうよね
となみちゃんのエリザベートには何かそういう部分がある
何か若さを通り越して、それじゃあお馬鹿なんじゃないっていえてしまう所があると思う
でも、途中から凄い年齢が上がって仮面を被って生きていくようになるのよ。
表情が全く動かないの
べっ別人!?みたいなね
それは、王宮での暮らしが苦しかったからこそなのかもしれないんだけど
このエリザベートだったら、そりゃあ躾けられてしまうよっていう部分が見えてしまってそれは甘いんじゃないって思ってしまう部分が私にはあった
自由とお馬鹿は違うと思うのよ
自由に生きたいのに自由に生きれないっていうのは、その人間が理に叶ってて始めて言える部分があると思うのよ
明らかに、それは間違ってるでしょって事を言いながらそれを通したいっていうのは自由に生きたいっていうよりは我侭言ってるだけってとられちゃう様に思えて、となみちゃん勿体無いよって思えたわけですよ
で、自由に生きれなかった結果仮面を被って全てを偽って生きていっている様に見えてじれったいのよ!
っていうか、なまじフランツ@彩吹真央が良い男だからね
意地張ってないで、もう許してあげて一緒に生きていったら?
その方が幸せになれると思うよ
そう思えて仕方がないエリザベートだった
何かね、自由になろうとして意地張ってしまった子供にエリザベートが見えてしまって、何だかじれったいっていうか面倒だなっていうかそう見えたのでした
このエリザベートだったら現でも、意地さえ張らなきゃ幸せになれたんじゃないかなって思えってしまった
トートとルキーニとフランツとの比重を考えたら余計にね
blogって忙しいと放置するしかないし、暇だと暇で書く事がないから放置してしまうよねと微妙な言い訳をしながら6月入ってから、やっとこさ2回目の日記!
雪組バージョン「エリザベート」3度目の観劇してきました。
何か何て言ったらわからない「エリザベート」ですよね、雪組の「エリザベート」って。
面白いんだけど、エリザベートに関しては有りなんだけど、皆見てる部分が違うよね
2回目観劇した時から薄々思ってたんですが、3度目観劇したらメインの方々が見てる方向違うってのが面白かったです
前回観劇した時はゾフィー@未来優希が美人なお姑さんに見えてたんだけれども、今回観劇したらゾフィーが怖いお姑さんに変化してた
何かしずしずと演じるとお姑さんの方が正しい様に感じるけど、感情が爆発するとゾフィーって怖いお母さんに変化するよね
まあ、ゾフィーが正しいと思う「エリザベート」もどうかと思うから、この変化は間違ってないんでしょうが
凄い怖い感情的なお母さんになってらっしゃいました
でも、あんまり生々しくなくてただの強大な敵であるお母さんっていう変化が私は良かったかなって思いましたよ
でもね、となみちゃんのエリザベートも凄い変貌を遂げてました
遂げてたのかわからないけれども、私にはこう見えました
私達って「エリザベート」の時代から言ったら若い人間に値するので、エリザベートの価値観にリンクできる部分がある様に思えるんですよ
ゾフィーがルドルフを鞭でうつのを古い感覚だと思うのって、今の時代の人間だからだと思うんですよ
何処の時代にも嫁姑対決があって、それって別にどっちが正しい間違ってるとかない様に思えるんですよ
でも、それでもこの「エリザベート」に関して言うのであればエリザベートの方に価値観が近いからエリザベート寄りになるんじゃないかなって思うんだけど
でも、嫁姑対決って大概若い方の子の感覚に近づけてあげようっていうのが今多いんじゃないですかね?
勿論、譲れない部分ってのはあるでしょうが
お嫁さん頑張ってるから応援してあげよう、少しぐらい間違ってても良いじゃないのってドラマとかで思ったあげれるじゃないですか
それでも、限界点ってあるよね
それはさ、お嫁さんがきちんと機能している時にだけありえる正解なんじゃないかなって思うんですよ
お嫁さん、一生懸命小さな身体で古い習慣と戦って頑張ってる
古い部分だけじゃなく、新しい部分もとりいれていこう。少しづつ両方歩み寄ればいいじゃないのってね思えるのはお嫁さんが頑張ってて、お嫁さんの価値観も理解できる場合のみよね
お嫁さんが洗剤でお米といでたら、いくら何でもお嫁さんがどれだけ頑張ってて「自分一人でご飯作るんです!」って言われたら、止めるよね
味方できないよね
それはお姑さんに教えて貰いなさいって言われちゃうよね
となみちゃんのエリザベートには何かそういう部分がある
何か若さを通り越して、それじゃあお馬鹿なんじゃないっていえてしまう所があると思う
でも、途中から凄い年齢が上がって仮面を被って生きていくようになるのよ。
表情が全く動かないの
べっ別人!?みたいなね
それは、王宮での暮らしが苦しかったからこそなのかもしれないんだけど
このエリザベートだったら、そりゃあ躾けられてしまうよっていう部分が見えてしまってそれは甘いんじゃないって思ってしまう部分が私にはあった
自由とお馬鹿は違うと思うのよ
自由に生きたいのに自由に生きれないっていうのは、その人間が理に叶ってて始めて言える部分があると思うのよ
明らかに、それは間違ってるでしょって事を言いながらそれを通したいっていうのは自由に生きたいっていうよりは我侭言ってるだけってとられちゃう様に思えて、となみちゃん勿体無いよって思えたわけですよ
で、自由に生きれなかった結果仮面を被って全てを偽って生きていっている様に見えてじれったいのよ!
っていうか、なまじフランツ@彩吹真央が良い男だからね
意地張ってないで、もう許してあげて一緒に生きていったら?
その方が幸せになれると思うよ
そう思えて仕方がないエリザベートだった
何かね、自由になろうとして意地張ってしまった子供にエリザベートが見えてしまって、何だかじれったいっていうか面倒だなっていうかそう見えたのでした
このエリザベートだったら現でも、意地さえ張らなきゃ幸せになれたんじゃないかなって思えってしまった
トートとルキーニとフランツとの比重を考えたら余計にね
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