可哀想な人はお好きですか?(堕天使の涙)
2006年10月13日 ぶたい。「堕天使の涙」で私は何だかちかちゃん、まーちゃん、こむちゃんの印象が妙に薄いのよね。
他の人達が濃すぎるからかしら?
しかし、主演さん2番手さんの印象が薄い作品って。。。
ちかちゃん、始めはいいのだけれども何だか最後が印象に残らないのよね
で、逆にまーちゃんは後半よね
出番が少ない?
そんな2人よりも私はジュスティーヌ・ルブラン@五峰亜季が印象に残ったわ
演技が流石よね
重い演技をきっちりしていて、見ていて胸が痛くなる人
可哀想な人よね
子供な大人
そして、努力の人
リリス@舞風りら、ジャン=ポール・ドレ@水夏希の母親でありながら2人の存在を認めてあげられない人
憎む事でどうにか自我を保とうとする弱い人
子供であるジャンも何処かでその血を受け継いでいるよね
ジュスティーヌは踊る事を愛した人
その踊る事で名誉や地位を手にいれるために血が滲み出るような努力をして報われかけたのだけれども、愛によって全てを失ってしまう
2人の双子を手にいれたばかりに彼女は踊れなくなってしまう
でも、彼女には手にいれた者よりも失った物の方が大きくて、手にいれた者を愛してあげる事が上手く出来ない人
哀れよね
でも、そうでもしないと生きていけなかった様にも思える
子供にとっては最悪な母親だけれどもね
この人がもし、子供も踊りも失っていたら生きてなかったんじゃないかと思うのよね
もう踊る事は出来ない
でも、恨む事でどうにか立ち上がる事も出来ない
それぐらい弱い人だと思う
だから、子供にリリス=悪魔の女の名前なんかをつけたんだと思うわ
ジャンはそんな母親に敵対心を向きだして成功しようと思うからいいの
母親もそれに対抗して生きていればいいから
「この子達さえいなければ」と憎んでいられる
子供が大きくなろうとすればする程に安心して憎んでいられる
でも、リリスは違うのよね
敵対するのではなく、母親を更に求めようとしてしまった
愛されなかった子供は、「愛されないのは自分のせい」と思ってしまう場合があるらしいけれどもリリスもそのタイプの女の子だったのかなと思うのよね
だから認められようと努力した
でも、努力すればする程母親は憎むのよ
だって、子供=憎むでどうにか生きている様な弱い人だから
でも、根本には母性もあると思うの
弱い子猫が縋り付いてきたら、人間は可愛がってあげたくなる
抱き上げて撫でてあげたくなる
でも、その人間も猫すら怖い弱い人間だったら共倒れするだけなのよね
ジュスティーヌはそれぐらい弱い人なんじゃないかしら?
でも、その子猫が縋りついてきてもし怖くて叩きつけてしまって子猫が怪我をしてしまったら「それが良かった」と思える性格の持ち主ではない
後悔もするし、懺悔もする
それでも、ジュスティーヌは自分の弱さが認められない
可哀想な人
リリスの目を失明させた時、彼女は半狂乱だった
それを見た時、私は泣きそうになった
何て弱い人なんだろうと。
きっといつものだって強がってるだけでしかないんだろうな
こうしないとぽっきり折れて生きていけないんだろうなって。
悪い人じゃなくて弱すぎる人
だから、リリスを傷つけて彼女は半狂乱になる
憎んでいても母親だから
リリスはそんな母親を憎んだり、自分の人生を恨んだりもするけれども最後は全てを許す
自分という存在を作っておきながら、自分という存在を恨んでいる母親を許す
聖母様の様な存在
大きな大きな愛
ジュスティーヌは自分が嘗て踊れなくなった様にリリスにも同じ事をした
これを考えなかった日はなかったんじゃないかな?
自分を憎んでいるはずだと思ったんじゃないかしら?
自分だって、2人の子供を憎んでいるから
「踊る」これよりも彼女にとっての生きがいはない
それを自分もリリスから奪った
でも、どうしようもない
自分だってどうしようもないんだから、リリスにだってどうしようもない
どうにかできるのなら自分も努力し、リリスの分も努力したと思うの
だから、彼女にとって出来る事といったら憎まれる事
自分がした様に
そう思っていたのにリリスは自分を許すといっている
悲しかっただろうね
自分は許せなかったのに自分の子供は許してしまった
許してなんか欲しくなかったと思う
子供は大人にとってある意味所有物だ
「自分が生んだんだからどうしてもいいんだ」「自分が生んでやったんだ」
そういうエゴがジュスティーヌにはあった
だから、憎いのよね
自分の所有物が自分より偉くなってしまうから
でも、所有物だと思っていたものに許された
最後には立場が逆転してしまった
ジュスティーヌはただただ泣くしかない
死んでしまったリリスに詫びるために、自分の弱さで愛せなかった娘のために
愛していればこんなに苦しい事はなかったはずなのに
でも、愛する事が出来なかった
どうしても、自分の弱さに打ち勝てなかった
可哀想な人
此処からは私の単なる思い付きだけれども、この後どうにかジャンをジュスティーヌが認めてあげるお話をつければ良かったんじゃないかな
ジャンが作った劇を良かったって。
リリスの死でジュスティーヌとジャンの関係も少しづつ変わっていこうとするの
弱くて可哀想な人はリリスという存在でどうにか少しだけ強くなるの
それを見て、ルシウスも人間を「リリス」という存在を認めようとするっていうのはどうかしら?
いや、単に「リリス」という存在がルシウスにとってちょっとまだ薄い気がしたものだからたんなる思いつきです
他の人達が濃すぎるからかしら?
しかし、主演さん2番手さんの印象が薄い作品って。。。
ちかちゃん、始めはいいのだけれども何だか最後が印象に残らないのよね
で、逆にまーちゃんは後半よね
出番が少ない?
そんな2人よりも私はジュスティーヌ・ルブラン@五峰亜季が印象に残ったわ
演技が流石よね
重い演技をきっちりしていて、見ていて胸が痛くなる人
可哀想な人よね
子供な大人
そして、努力の人
リリス@舞風りら、ジャン=ポール・ドレ@水夏希の母親でありながら2人の存在を認めてあげられない人
憎む事でどうにか自我を保とうとする弱い人
子供であるジャンも何処かでその血を受け継いでいるよね
ジュスティーヌは踊る事を愛した人
その踊る事で名誉や地位を手にいれるために血が滲み出るような努力をして報われかけたのだけれども、愛によって全てを失ってしまう
2人の双子を手にいれたばかりに彼女は踊れなくなってしまう
でも、彼女には手にいれた者よりも失った物の方が大きくて、手にいれた者を愛してあげる事が上手く出来ない人
哀れよね
でも、そうでもしないと生きていけなかった様にも思える
子供にとっては最悪な母親だけれどもね
この人がもし、子供も踊りも失っていたら生きてなかったんじゃないかと思うのよね
もう踊る事は出来ない
でも、恨む事でどうにか立ち上がる事も出来ない
それぐらい弱い人だと思う
だから、子供にリリス=悪魔の女の名前なんかをつけたんだと思うわ
ジャンはそんな母親に敵対心を向きだして成功しようと思うからいいの
母親もそれに対抗して生きていればいいから
「この子達さえいなければ」と憎んでいられる
子供が大きくなろうとすればする程に安心して憎んでいられる
でも、リリスは違うのよね
敵対するのではなく、母親を更に求めようとしてしまった
愛されなかった子供は、「愛されないのは自分のせい」と思ってしまう場合があるらしいけれどもリリスもそのタイプの女の子だったのかなと思うのよね
だから認められようと努力した
でも、努力すればする程母親は憎むのよ
だって、子供=憎むでどうにか生きている様な弱い人だから
でも、根本には母性もあると思うの
弱い子猫が縋り付いてきたら、人間は可愛がってあげたくなる
抱き上げて撫でてあげたくなる
でも、その人間も猫すら怖い弱い人間だったら共倒れするだけなのよね
ジュスティーヌはそれぐらい弱い人なんじゃないかしら?
でも、その子猫が縋りついてきてもし怖くて叩きつけてしまって子猫が怪我をしてしまったら「それが良かった」と思える性格の持ち主ではない
後悔もするし、懺悔もする
それでも、ジュスティーヌは自分の弱さが認められない
可哀想な人
リリスの目を失明させた時、彼女は半狂乱だった
それを見た時、私は泣きそうになった
何て弱い人なんだろうと。
きっといつものだって強がってるだけでしかないんだろうな
こうしないとぽっきり折れて生きていけないんだろうなって。
悪い人じゃなくて弱すぎる人
だから、リリスを傷つけて彼女は半狂乱になる
憎んでいても母親だから
リリスはそんな母親を憎んだり、自分の人生を恨んだりもするけれども最後は全てを許す
自分という存在を作っておきながら、自分という存在を恨んでいる母親を許す
聖母様の様な存在
大きな大きな愛
ジュスティーヌは自分が嘗て踊れなくなった様にリリスにも同じ事をした
これを考えなかった日はなかったんじゃないかな?
自分を憎んでいるはずだと思ったんじゃないかしら?
自分だって、2人の子供を憎んでいるから
「踊る」これよりも彼女にとっての生きがいはない
それを自分もリリスから奪った
でも、どうしようもない
自分だってどうしようもないんだから、リリスにだってどうしようもない
どうにかできるのなら自分も努力し、リリスの分も努力したと思うの
だから、彼女にとって出来る事といったら憎まれる事
自分がした様に
そう思っていたのにリリスは自分を許すといっている
悲しかっただろうね
自分は許せなかったのに自分の子供は許してしまった
許してなんか欲しくなかったと思う
子供は大人にとってある意味所有物だ
「自分が生んだんだからどうしてもいいんだ」「自分が生んでやったんだ」
そういうエゴがジュスティーヌにはあった
だから、憎いのよね
自分の所有物が自分より偉くなってしまうから
でも、所有物だと思っていたものに許された
最後には立場が逆転してしまった
ジュスティーヌはただただ泣くしかない
死んでしまったリリスに詫びるために、自分の弱さで愛せなかった娘のために
愛していればこんなに苦しい事はなかったはずなのに
でも、愛する事が出来なかった
どうしても、自分の弱さに打ち勝てなかった
可哀想な人
此処からは私の単なる思い付きだけれども、この後どうにかジャンをジュスティーヌが認めてあげるお話をつければ良かったんじゃないかな
ジャンが作った劇を良かったって。
リリスの死でジュスティーヌとジャンの関係も少しづつ変わっていこうとするの
弱くて可哀想な人はリリスという存在でどうにか少しだけ強くなるの
それを見て、ルシウスも人間を「リリス」という存在を認めようとするっていうのはどうかしら?
いや、単に「リリス」という存在がルシウスにとってちょっとまだ薄い気がしたものだからたんなる思いつきです
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